2008年12月27日更新



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……このコンテンツで『紀伊』を扱ったという既成事実も出来たので、製作済みで、きちんと扱えなかったモノなどいろいろのせていきます(@_-;A。
まずはワシントン条約下の1920年代後半に計画されていた、『金剛級代艦』です。
もっとも、私が造ったのは、当時艦政本部の計画に、横槍を入れた『鬼才』平賀譲造船中将 (当時、海軍技術研究所長) が提出した『私案』のほうです(;´Д`)。それと、『出雲』という名前は根拠ゼロで、便宜上、適当に名付けました。
近年、いろいろ軍艦のことを勉強していくうちに、自分が好きになっていくフネの殆どを設計した『平賀譲』という人物に非常に興味を持つようになってきました。
『平賀譲』という人物や、『金剛代艦』の詳細は、私がここで、まとまりのないことを書かずとも、ググっていただいた方がいいと思いますので、これ以上は触れませんが……(´▽`*)。
一応、簡単にスペックを……
基準排水量 35000トン/公試排水量 39200トン/水線長 232メートル/全幅 32.2メートル/80000馬力 速力26ノット
40.6センチ砲3連装×2・連装×2/15センチ砲連装×4・単装×4/同型艦 3隻
製作にあたっては、光人社刊『戦艦入門』の概要図と、光栄刊『未完成艦名鑑』の、故・今井邦孝氏のイラストを1/700相当に拡大コピーを作り、壁に貼ってテンションをあげます(´▽`*)。これを図面としても使用。
艦体は『長門を2隻分使用し、繋ぎ合わせいてます。上甲板の土台に1ミリのプラバンを貼り付け、基礎となる部分を造り、その上にエバーグリーン製のスリット入りプラバンを貼って木甲板を表現しています。

……製作途中の写真があまり無いので、たちまちこの段階です。下の方のフネです。
上は現在製作途中の『赤城』。
下部艦橋部分やバーベットは、フジミの(旧)金剛や、ニチモ30センチの長門などから加工しています。

……更に進んで、この段階( ´∀`)。
連装主砲塔は、アオシマ『長門』から、3連装砲塔はピットロードの艦船セットの『長門・陸奥用』を流用しています。砲身は真鍮製で、もともと連装の砲塔に3本の砲身は流石に窮屈です。
アオシマ製とピットロード製のサイズの相違に、逆に便乗したようなやり方となりました。煙突はプラマテリアル (普通は、モビルスーツのバックパックの推進剤タンクなどに使用するものかな?) にプラバンをかませたもの。司令塔近辺は、プラバンの積層とタカラ『連斬大和』の流用で製作。

上の写真は、ケータイの標準モードで撮っているので画質が×です。
手前はやはり『赤城』です。上部艦橋構造物は、自分なりにスクラッチを予定していましたが、イメージが沸かなくてあえなく挫折し、殆どニチモ30センチ『榛名』からの流用となりました(´▽`*)。
かなり特異な4本マストとデリックは真鍮線などで自作しています。
2008年6月8日、竣工!( ゚д゚)。
写真が少ないので唐突ですが、実際は一年半程度かかっています。
1930年代前半の姿をイメージして製作しています。単装の15センチ砲は全て撤去済みという仕様です。このえらく大きい艦橋構造物といい、26ノット程度のスピードといい、どう考えても完成していれば連合艦隊の旗艦に座りそうなので、水雷艇除けの砲など必要ないだろう、という考えです(;`∀´) 。
一時期流行(?)していた、この砲塔上のカタパルトというのが、結構好きです。
(゚ー゚*)なんというか……艦載機の運用について試行錯誤しているのが、とても感じられます。
古い写真のように加工すると、下のような具合……アラがだいぶ隠せます( ゚д゚)。
ここからは、練習用に造った『巡洋戦艦 摩耶』とのツーショットなど混ぜてみます。
竣工から半年を経て、ようやくこういう形でウェブ上での正式公開となりました( ´ー`)。
当初は、ウェブとはあまり関係の無い代物なので、取り扱いについて考えあぐねていましたが、『紀伊』公開により、ふんぎりがつきました。
この枠を利用して、他のフネも順次載せていきたいと思います。


2008年12月27日 第3章 閉幕。